
近年、各地で街歩きと兼ねて行われるたくさんの雛人形を展示する「ひなめぐり」。多くは、江戸時代や明治時代、大正時代などの歴史ある雛人形や土雛などが展示されたり、また、核家族化が進み昔のように広い一軒家に住む家庭が減ると同時に、何段もある雛人形を飾らなくなり、行き場をなくしつつあった雛人形たちが大集結している。その集まりっぷり具合は、どの地域も豪華で圧巻!だが、しかし……私は、さらにひと癖もふた癖もある雛人形の展示に出逢ってしまったのである。愛知県豊田市の稲武地区で。

稲武地区は、愛知県と長野県と岐阜県の県境にある山に囲まれたエリアだ。この3県の県境のエリアは、行政は違えど食文化などがとてもよく似ている。このエリアだけで一つの行政にしても良いのでは?などと思ってしまうほど。
さて、私がその稲武地区へ出向いた当初の目的は「雛人形」ではなかった。「ひなまつりの行事食」を巡っていて辿り着いたのである。稲武地区をはじめ、この県境エリアでは、ひなまつりに「カラスミ」を食べる。たぶん、今、みなさんの脳裏に浮かんだのは、魚のボラの卵巣を塩漬けにして作られた酒の肴にすると最高な珍味「カラスミ」だろう。が、残念ながら稲武地区の「カラスミ」は魚のソレではない。細長く丸みを帯び、ぽってりとしたボディで、ほんのりとした甘さを併せ持ったもっちもちの米粉を蒸して作られた“和菓子”なのだ。

何がどうなって「カラスミ」などというややこしい名前になったのか?稲武地区のカラスミ屋である「大米屋かっちゃんの店」で聞いたところ、和菓子のカラスミの語源とボラの卵巣でできたカラスミの語源はまったくもって同じなのだという。
「唐の国(現在の中国)の墨に似ているので付いた名」それが語源。
言われてみたら、どちらも、細長くぷっくりぽってり具合は似てる……やも?
和菓子の方の稲武のカラスミは「大米屋かっちゃんの店」や「道の駅どんぐりの里いなぶ」などで販売されている。2023年の3月3日、私は、そのカラスミだけを買ってそそくさと稲武地区を去る予定だった。ところが、道の駅で、私のひなまつり感を根こそぎ覆す光景に出逢ってしまったのである。

その日は季節がら道の駅店内に雛人形が1体ずつ点在して飾られていた。「ああ、ココも町なかで雛人形を展示してはるんやな〜。流行りやな〜」と、ぼへ〜と何気なく通り過ぎたのだが、目の端に残った雛人形に微妙に違和感を覚え数歩後戻り。
そこには、この辺りの名物「五平餅」を片手に持ってる五人囃子メンバーの一人と左大臣がいるではないか!?

んんっ!!??
私の脳天に稲妻のようなモノが走った!
さらに、道の駅のパン屋スペースには焼きたてパンを選んでいる三人官女の一人が!しかも、吹き出しセリフ付き!

ええっ!?か、かわいい!!
その時点で、がっしりと心を鷲掴みにされた私。しかし、稲武のひなまつりのかわいさパワーは五平餅とパンだけには収まらなかった。次にお邪魔した「大米屋かっちゃんの店」には、なんと、カラスミを作って売っている雛人形たちが!!

カラスミには実際のカラスミと同じく線まで入っている上に、のぼり旗まで手作りされている細やかさよ!

道の駅でもらった「いなぶ旧暦のひなまつり」のチラシを拝見すると、なんとなんと、他のいろんなお店にも雛人形が飾られているというM A Pがあった。これは、ちょっと、他も回らないと私は稲武地区に怨念の如く強い後悔を残してしまうのではないか?そそくさと帰っている場合ではない。
そして、その後、稲武の雛人形たちは私の期待を遥かに超える姿で目の前に次々と登場しまくったのである。


町の商店の店頭では、野菜や肉を売ったり買ったりしているおひなさまが何人も!おひなさま、貴族のはずなのに、なんて庶民的!しかも、ミニチュアの段ボールに秤にポテチまで!

美容院のショーウィンドウでは、パーマでイメチェン中。ロッドに髪が巻き付けられている。なんて、緻密な作業!

郵便局のショーウィンドウでは、五人囃子がスクーターで配達中。しっかりとヘルメットも着用!

三人官女の一人が投函しようとしている手紙の宛先は「小林一茶」なぜ、一茶!?

車の上を陣取る五人囃子の一人はサンタさんへの手紙を握り締めている。手紙の裏には「ゲームき ください」と一言。一茶からサンタにまで配達してしまう郵便局。ミラクルすぎる。

レターパックプラスとライトのミニチュアまで完備!

銀行のショーウィンドウでは、なんと銀行強盗出現!警察官は、もしやお内裏様では!?この頃は、まだまだコロナ時期だった2023年の3月なので、フェイスシールドまできっちりと着用しておられる。今にも動き出して話し出しそうな躍動感!そして更には、振り込め詐欺注意の雛人形版ポスターまで貼られている始末。

なにこれ!?なにこれ!?なんなのこれは!?
私の中の雛人形の定義が一気に崩壊。こんなに軽やかで愉快で笑いが止まらないひなまつりは、子供の頃を含めても人生初ではなかろうか?
この「いなぶ旧暦のひなまつり」。雛人形でとことん遊び尽くされているように思えるのだが(実際、遊ばれているのだが)、実はコレ、大正や昭和初期のひなまつりの遊び方の現代版なのではないかと私は密かに思っている。
『稲武町史 民俗資料編』(芳賀登 他・監修/稲武町)のひなまつり部分の記載を読むと、昭和10年頃のひなまつりの様子が書かれている。 旧稲武町のとある地域では、ひなまつりの翌日に、古くなったおひなさまを屋外の花が見える場所に連れて行き、筵の上に飾り、その周りで子供たちがご馳走を持ち寄りおままごとのようなコトをしたのだという。その際、おひなさまの首に触れながら「ひな様ごろじょ、この花ごろじょ、来年も来ておくれ」と唱え、みんなでこの地域のひなまつり食であるカラスミを食べたのだそう(「ごろじょ」の意味がわからず。地元の方、どうぞご教授くださいませ)。
また、町内の別の地域では、これまたおひなさまを片付ける前に縁側に並べ「お雛様 山見てごらん、川見てごらん、花見てごらん、来年もきてくれなんしょ」と唱えたそうな。
さらに、また、別の地域では 、子供たちがおひなさまを持って集落内の各家庭を回り、家々からカラスミをもらったのだとか。
これらを、大雑把に混ぜ併せてみると「おひなさまを外に連れ出し、ままごと遊びをし、町を巡る」となる。
そう!まさに「いなぶの旧暦のおひなさま」そのもの。町中におひなさまたちを点在させ、ごっこ遊びをさせ、人々はそれを見るために町をぐるっと歩き回る。現代風味と茶目っ気がやや過多だけど、そこがまた良き味わい。

この、ひなまつりの後に雛人形を山や外に連れ出す習わしは、実は旧稲武町だけではなく、全国にもちらほらと昔はあった行事だ。だから、他の地域も絶賛取り入れても良いんじゃないかと思っていたら……なんと、全国各地でも同じように茶目っ気増し増しの雛人形たちが展示されている模様。「福よせひなプロジェクト」というらしい。自宅で飾られなくなった雛人形を預かり、「雛人形の第二の人生」をテーマとし、雛人形たちが人間と同じ日常を過ごす風景を表現し、町なかに散りばめているのだそう。厳かなひなめぐり展示も良いけれど、ちょっとハメを外した雛人形たちは、雛壇に飾られていたかつての雛人形人生よりも輝いて見えるのは気のせいか?
さて、「いなぶ旧暦のひなまつり」。“旧暦”と付くのは、全国的に3月上旬も寒さが残る地域では、花が咲き始める旧暦の4月にひなまつりを行う地域が多い。山間部の稲武地区もそれに同じく。だから、4月の旧暦のひなまつりに向けて3月中の稲武地区ではひなまつり全開モード!ちなみに、2026年のテーマは「昭和へタイムスリップ〜昭和100年記念〜」だそうで。チラリと覗き見したところによると「紅白歌合戦」の文字があったような……。もしや、雛人形のみなさまに紅白歌合戦をやらせる気!?毎度、企画者のみなさんの発想に脱帽。「昭和へタイムスリップ」のその全貌は、いかに!? ぜひ、各自、現地に足を運んで自分の目と肌の感覚で堪能していただきたい。良い意味で貴方の固定観念が崩れ、その瞬間から、なんだかちょっと足取りも心もふんわり軽くなるに違いない。
(データ) いなぶ旧暦のひなまつり2026
「福よせ村 昭和へタイムスリップ〜昭和100年記念〜」
会期:2026年2月21日(土)〜4月3日(金)
問い合わせ:豊田市稲武どんぐり工房(TEL:0565-83-3838)