いかご
products 商品開発

『和樂』オリジナル仕様の特別生産品「いかご」を発売

2022/06/28

■ 昭和のおばあちゃんの手仕事を日常に。

 買い物かごを手に、エプロン姿で近所の商店へ夕食の買い出しに――。
今ではあまり見かけなくなった〝サザエさん的スタイル〞の重要アイテムだった買い物かご、「今使うならこれだ !」とピンときたのが、岡山県倉敷市の生産者、「須浪亨(すなみとおる)商店」の「いかご」でした。手に提げても腕に掛けてもバランスがよく、もちろん外出や仕事にも使える、い草(ぐさ)で編んだ軽やかな、かごバッグ。『和樂』オリジナル仕様の特別生産品を、数量限定で販売!
※ご好評につき、追加生産決定しました(数量限定)。8月中旬以降順次発送予定。

いかご1
いかご2
いかご3

■ 倉敷に残る唯一の畑とつくり手物語

 倉敷は栽培から商品の生産まで、かつては〝い草王国〟でした。クラフト王国ともいえる岡山県の手仕事もののひとつが、い草製品。い草の一大産地だった倉敷で、その伝統を受け継ぐふたりの守り手を取材しました。

 岡山でのい草の栽培や製品づくりの歴史は仲哀(ちゅうあい)天皇・神功(じんぐう)皇后の御代(みよ)、紀元200年代にまで遡(さかのぼ)ります。備中の国(びっちゅうのくに)、現在の倉敷市のあたりに宿をとった神功皇后は、あたりに生えている美しいい草を編んでござをつくるよう言われたとか。

 ござは「御座」とも書き、貴人(きじん)が 座るところをさす言葉です。また、平安時代には寝殿造り住居の普及とともに、畳は人々 の暮らしに欠かせないものになりました。い草の茎はスポンジのような繊維で構成されているため、湿度調整機能が備わっています。湿気の多い時季は空気中の湿度を吸収し 、乾燥していれば吐き出す。製品になったあとも呼吸するい草は、日本の気候風土に適した素材なのです。

 また、あのすがすがしい香りにはフィトンチッドなどの成分が含まれているため、リラックスや集中力向上に効果があるとされています。畳敷きの和室に入ると落ち着くのは、科学的な根拠もあるようです。

 そんない草を住宅街の一角で栽培し、刈り取って選別、染色して織り上げて販売しているのが、明治30(1897)年創業の「倉敷いぐさ 今吉(いまよし)商店」の5代目、今吉俊文(としふみ)さんです。「畳やござのひんやりした感触って気持ちいいですよね。肌に触れるものだから安全な材料でつくられるべきだし、グラスファイバーなどの代替品では本来の役割が果たせません」と言います。

 今回の商品「おつかい・いかご」の製作は、明治19(1886)年からござを製造する「須浪亨商店」5代目によるもの。その須浪隆貴(りゅうき)さんは、倉敷で栽培されている今吉さんのい草ではなく、あえて熊本産のい草を使用しています。それはいったいなぜなのか?そこにも、倉敷でい草文化が大切に受け継がれてきた物語がありました。

「倉敷いぐさ 今吉(いまよし)商店」の5代目、今吉俊文(としふみ)さん
い草を編み込む様子
完成したいかご

■ 闇かご、買い物かご、そして「いかご」

 い草製品を特産品のひとつとしてきた倉敷で、祖母の仕事を受け継いだ須浪隆貴さん。誌上通販する「おつかい・いかご」の原点を探りました。

 農閑期の小遣い稼ぎだったという、い草を材料としたかごづくりを祖母から習い、「家族がちゃんと生活できる仕事に」と奮起したのが須浪隆貴さん。「ポケモン」や「ドラえもん」と、世界中の民藝品に、等しく情熱を注ぐ29歳の青年です。

 その仕事は、まずい草を縒(よ)って縄にするところから。この「いかご」は、短いなど難があって、畳表(たたみおもて)やござなどの材料にはならない、い草を活用して生まれたもの。その製法と縄を生地状に織り上げる専用の織り機を祖母から受け継いだ須浪さんは、貴重な倉敷のい草を使うのではなく、あえて熊本で出る〝屑い草〞を用いるのです。

 そもそも「いかご」は 、戦後の闇市での買い物に使われた「闇かご」として誕生。沖縄ではアダンの葉で、大分では竹ひごでと、全国に土地の素材で編んだ「闇かご」や「市場かご」があり、これも日本文化のひとつ。須浪さんは祖母から受け継いだ技術を用いながら、現代の生活で使いやすいデザインを「いかご」に投入しています。

 「その地域の風土や文化、暮らしで必要とされてきたものが好き。僕はい草の上で育ったから、い草の素晴しさを多くの人に知ってほしい。そういうものづくりをしていきたいんです」

いかごを腕にかけて持っている様子