茨城県日立市は春に市内各地で桜が咲き誇る桜のまちとして知られる。その背景には日本の近代産業を支えた日立鉱山と市民の奮闘があった。日立と桜の縁を物語る「日鉱記念館」を『サライ』の三浦一夫編集長が訪ねた。
JX金属が運営する日鉱記念館では、JX金属のルーツである日立鉱山の歴史資料や鉱山機械などが展示され、工業都市 として繁栄した日立の歩みや日本の近代産業史を学ぶことができる。敷地は、昭和56年に閉山した日立鉱山の跡地をそのまま活用している。副館長の篠原順一さん(61歳)の案内で巡る と、2基の竪坑櫓(たてこうやぐら)や巻揚機室など、鉱山ならではの施設が目に止まる。
「在りし日の鉱山街の風景が蘇るようです。製錬所内で物資を運ぶ専用軌道の跡や、電気機関車も保存され、鉄道ファンにも興も興味深いですね」と、三浦編集長が言う。
鉱山資料館には鉱山で使用する機械の動力源となる大型のコンプレッサー(空気圧縮機)や、掘削に用いられた削岩 機などが並ぶ。三浦編集長がコンプレッサーに目を移すと、表面に「日立製作所」の文字が刻まれていた。篠原副館長がこう説明する。「日立製作所の歴史は、JX金属のルーツである日立鉱山の電気機械修理工場から始まりました。鉱山で使う機械を改良すべく技術革新を積み重ねたことが、世界的な大企業へと成長する原動力になったのです」
本館では、大煙突建設の資料や、日立が桜のまちになるまでの歴史を映像とパネルで紹介している。篠原副館長がこう解説する。「大煙突の完成により煙害は解消されつつあったものの、鉱山開発により山肌が露になっていました。日立鉱山は緑 の回復を図るべく、煙に強い伊豆大島のオオシマザクラを中心に、大煙突の周囲や社宅の土地、鉱山電車の沿線に約 1000万本の苗木を植えたのです」。
日立鉱山が始めた取り組みはやがて地域全体に広がり、各地に桜の名所が生まれた。かくして、桜が日立市の花とし て制定されるに至った。三浦編集長が言う。「日立を象徴する桜の風景は、鉱山と市民が協力して問題解決を図った歴史を物語っています。困難の克服に向けて 試行錯誤する姿勢が、日本のものづくりを発展させてきたのです。今回の旅を通して、日立が日本を代表する企業城 下町であり、桜のまちにもなったことがよくわかりました」 鉱山と市民が手を取り合いまちづくりを進めた歴史に三浦編集長は感銘を受けた。