contents コンテンツ制作

CanCamモデル佐々木莉佳子が地元、気仙沼へ!「気仙沼ニッティング」が素敵すぎた

2022/12/16
気仙沼の港町を背景に、佐々木莉佳子

 CanCam専属モデル・佐々木莉佳子が地元・宮城県気仙沼市に帰ってきました!
 上京するまでずっと気仙沼で生まれ育った莉佳子。現在は「みなと気仙沼大使」として、地元の観光大使も務めています。気仙沼の中でも莉佳子が子どもの頃から来ていたという好きな場所、安波山。穏やかな海を取り囲む自然や気仙沼の街、そして少し遠くには観光スポットのひとつでもある大島を臨むことができます。

 2011年に起きた東日本大震災によって甚大な被害を受けた気仙沼。時とともに復興は進み、NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』の舞台にもなり、10年以上経った今は、昔ながらの文化と新しいものが共存する、美しい港町として、また歴史を歩み始めています。かつて、船の動力が風であった時代、気仙沼は船出の風を待つ「風待ち」の街でした。旧市街地には、大正や昭和初期に建てられた歴史的な建造物が数多くあり、国の登録文化財に指定されたものもあるほどでしたが、そちらも多くが被災。しかし、地元の建築士さんたちが「風待ち地区」と名づけ街の宝でもある建物を修復・再建する取り組みが今も行われています。

レトロなお店の前で座る佐々木莉佳子

 そんな気仙沼の街は、レトロでチャーミングなものがたくさん。こちらのお店の前で撮影していたところ、お店の方が出てきてくれて「ここの目の前には昔、ダンスホールがあったのよ」と、街の歴史を感じる小話を教えてくれました。莉佳子も「安心できて、癒しをくれる大好きな場所」と語る気仙沼。そんな気仙沼には、とても素敵な企業があります。それが今回の目的地、海が見える小高い丘にたたずむ、「気仙沼ニッティング」です。

気仙沼から世界へ。気仙沼ニッティング

 「ネクストとうほくアクション」(特別協賛:花王グループカスタマーマーケティング株式会社)という、東北のみなさんとともに未来を考え、未来につながる活動を推進していく取り組みをご存じでしょうか。今回はその一環として、現地に縁が深い大学生のみなさんとともに、CanCamがピックアップした東北の素敵な企業を紹介していきます!

 全3回のプチ連載の初回に訪れたのは「気仙沼ニッティング」。2012年に設立されて以来、気仙沼を拠点に、丁寧に時間をかけて編まれた、質が高く、長く人生をともにしてくれる手編みのニットを世界中にお届けしています。

■今回お話をうかがったのは…

後藤さん、御手洗さん、佐々木莉佳子

気仙沼ニッティング 代表取締役 御手洗瑞子さん
 1985年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、2010年より1年間ブータン政府で産業育成に従事し、帰国。2012年、気仙沼ニッティングを立ち上げ、現在に至る。

●CanCam専属モデル 佐々木莉佳子
 2001年、宮城県気仙沼市生まれ。震災を機に立ち上げられた気仙沼のご当地アイドルSCK GIRLSを経て、現在はハロー!プロジェクト内の女性グループ・アンジュルムのメンバーとして活動。みなと気仙沼大使として、気仙沼の魅力を広める。

●宮城学院女子大学 後藤瑠佳さん
 2002年、宮城県気仙沼市生まれ。高校時代まで気仙沼市で育ち、現在は仙台市内の大学で気仙沼の観光や産業を中心に学んでいる。

「編み物は気仙沼で長い歴史があるんです」
気仙沼ニッティングって、どんな会社?

気仙沼ニッティングの手編みニット

莉佳子 気仙沼ニッティングさんには初めて来たんですが、気仙沼じゃないみたい…! おしゃれな空間で、入ったときにすごくわくわくしました。窓からの景色もキレイで、いい場所ですね。

御手洗さん 毎週土曜日にこのお店を開けているんですが、週末には海を遊覧船が行ったり来たりするのも見える特等席なんですよ。

後藤さん 来る前にwebサイトを見ていたら「すべて人の手で編まれたニット」とあり、実際に見てみたら本当にあたたかい印象のニットで…。改めて、気仙沼ニッティングとは、どんな思いで立ち上げられた会社なのでしょうか?

御手洗さん 気仙沼ニッティングは、2012年、震災の翌年に立ち上げた会社です。おふたりともご存じだと思いますが、被災直後は、住む家に加えて多くの会社が被災し、仕事がなくなってしまった方がかなりいらっしゃいました。土地を整備して、建物を作って、事業再開まで何年もかかると言われている状況で、支援を受けてなんとか暮らすことはできていても、日々、打ち込める仕事がない。それが、当時の気仙沼でした。

 長い目で見たときに「復興」とはなんだろう、と考えると、単に建物が新しくなるだけのことではありません。仕事をして、稼いで、自分の力でスーパーに行ったり好きな服を買ったり…そんな日々のサイクルを取り戻せることだと思っています。一時的なボランティアをするのではなく、この地域の人たちが誇りを持って取り組めて、ずっと続いていく仕事が作れるといいな…と、そんな思いで立ち上げました。

莉佳子 どうして「ニット」にしたんですか?

御手洗さん 実は、気仙沼では歴史的に「編み物」を行っている人が多かったんです。「フィッシャーマンズニット」という言葉を聞いたことはありますか? もともと編み物はヨーロッパで生まれたものなのですが、イギリスでは「カーディガン」を「フィッシャーマンジャンパー」と呼ぶなど、漁師さんが着るものとして手編みのセーターが生まれました。漁師さんと編み物の歴史は深く、漁に使う魚網やロープも、もとは編み針一本で作っていたもの。そこから、着るものも作るようになっていたのがセーターの始まりです。気仙沼から出港した船はヨーロッパまで行く遠洋船も多いので、そこでいち早く編み物が入ってきたんでしょうね。

 気仙沼ニッティングのニットを編んでいるみなさんのことを、私たちは「編み手さん」と呼んでいるのですが、編み手さんの中にも「漁師だったお父さんが、遠い漁場に着くまでの1〜2か月の間に自分のセーターを編んでくれた」という方が結構いるんです。漁に出る前に、子どものセーターにちょうどいい毛糸やジッパーを探して持っていくんですって。それで、年末年始にお父さんが漁から帰ってくると「セーターを編んでおいたよ」とプレゼントしてくれる。それに、60〜70代くらいの編み手さんだと、小さい頃に家に1匹2匹は羊がいた、という方が多いんです。(中略)

三者三様に気仙沼に関わる3人が思うこれまでと、これからの未来。

ニットを紹介する御手洗さん

後藤さん 気仙沼ニッティングはもっとこんな存在になっていきたい、という展望はありますか?

御手洗さん 気仙沼は、美しい街だと思っています。だからこそ、やっぱり気仙沼のことを「かっこいい場所」として世界に広めたいし、もっと知られていってほしい。あれだけ大きなことが起こったから当たり前ですが、震災後しばらくは、「気仙沼」と検索すると、被災している街の画像ばかりが出ました。でも、この街に暮らす人たちは、そこで立ち止まらず、どんどん前に進んで、新しいものを作っています。そのプロセスを希望を持って見てもらえたらいいな、と思っています。

後藤さん 震災を機に街は一旦リセットされてしまったけれど、人はずっと続いていって、産業や地域の特色もそのまま受け継がれて、変わらないものもありながら、新しいものができて、新しいものとずっと変わらないものが共存しているのも魅力ですよね。

莉佳子 最近、休みの日に頻繁に帰ってくるようになって、年々気仙沼のことが大好きになってきたんです。やっぱりどうしても元の気仙沼の景色が好きで恋しく思うことはありますが、景色が変わっていっても、気仙沼の雰囲気や安心感、あたたかさはまったく変わらない。

御手洗さん 私は震災後に気仙沼に住み始めたので、私はおふたりと違って震災前の気仙沼の景色を知らないのですが、気仙沼の「復興」って「元に戻す」じゃなくて、まさに「新しい街」をつくっているんですよね。佐々木さんの言うように人のあたたかさは変わらず、後藤さんの言うように気仙沼の特色は持ったままで、人の血が通った、歴史と新しさが共存する街。気仙沼ニッティングは新しい会社ですが「小さい頃、家に羊がいてね」とか「お父さんにセーターを編んでもらうのが1年で一番楽しみで、自分もそういうことがやりたくて編み物をやり始めた」とか、もともと気仙沼の暮らしの中にあった編み物の文化をベースにしている、こうして根付いて続けてこれたなと思っています。災害はどこでも起こりうることだからこそ、被災した地域が立ち直って「いい仕事をしていること」は、あらゆる人の希望になります。佐々木さんの存在もそう、かっこいい希望ですよ。

机を囲んで話をする3人

莉佳子 もともと、震災後に「街の人を笑顔にしたい」という想いでできた、SCK GIRLSというご当地アイドルから活動を始めたんですが、その当時から「気仙沼の人の強さ」を感じていました。

後藤さん 当時、気仙沼でかなり話題になっていました。震災があって落ち込んでいた時期に、実は見に行ったことがあります! 莉佳子さんのずば抜けたすばらしいステージを見て、「すごくよかったね!」という話を母としていました。

莉佳子 え!そうなんですね。

御手洗さん 今は気仙沼の街もこんなにきれいになりましたけど、すごい場所でライブしていましたよね。被災の跡が残っているようなところで、みんながしんどい中で、歌って踊って誰かを元気づけるって、アイドルの役割として、何か根源的なものを感じました。

莉佳子 やっぱり「震災の名前を使ってアイドルするんじゃない」って批判もかなりありましたが、みなさんが見に来てくださるから、気仙沼の街を元気にできてたんじゃないかな…と思います。そこからハロー!プロジェクトに入って、アンジュルムのメンバーになって、結構長い間、気仙沼出身であることを公言していなかったんです。でも、途中からどんどん言えるようになって、「みなと気仙沼大使」という大使をさせていただくようになって…。もっと魅力を伝えていけたらいいなと思いますね。

後藤さん 私も今仙台の大学に通って、ゼミで東北の観光や地域に密着したことを学んでいるのですが、そのなかで気仙沼の企画を考えています。大島を舞台に観光プランを考えたり、発信したり。大学で学んだことを地域で還元していけたらいいな、と思います。気仙沼に戻ってきて働くのがいいのか、気仙沼の外で発信していくのがいいのか…どう伝えるのがいいのか、考え中です。

莉佳子 「伝え方」っていっぱいありますよね。私はアイドルという立場で何かを発信できて、それは誰もがなれるわけではない立場だと自覚しているんですが、そんな私だからこそできることがあるんじゃないかな、と思っていて。最近だとファンの方が実際に気仙沼に足を運んでくださっているのを見て、少しでも気仙沼の力になれてる! と思えることがうれしいんです。誰かに影響を与えられるような私なりの発信ができているかな、と最近強く感じているので、もっと気仙沼や宮城県に貢献できる人間になりたいです。

御手洗さん すばらしい!

 三者三様に気仙沼を愛し、魅力を伝えたいと日々を重ねる3人。莉佳子が「落ち着く、ゆっくり流れる時間が好き」と愛する気仙沼ですが、意外とまだまだ知らないことも多く「とても勉強になった…」とのこと。歴史を受け継ぎながら、新しい形で発信し、いいものを作り続けていく「気仙沼ニッティング」のニットの数々、もし気仙沼に訪れる機会があればぜひ本店で、難しければ取扱店や全国を巡るポップアップストアにて、ぜひご覧になってみてくださいね。

「気仙沼ニッティング」販売所

■「ネクストとうほくアクション」とは?

「ネクストとうほくアクション」ロゴ

 花王が支援する取り組みで、東北の3つの新聞社である「岩手日報」「河北新報」「福島民報」が手を取り合って、東北の皆さんとともに未来を考え、未来につながる活動を推進していく取り組み。現地の高校生・大学生とともに行うプロジェクトや東北に花を咲かせるプロジェクトなど、さまざまな取り組みを行っている。

CanCam 2023 2月号
この事例のWEB記事をみる