日本の離島や民俗行事を巡る旅をライフワークにするイラストエッセイストの松鳥むうさんが、その地域にしかない全国のユニークな伝統行事を紹介する連載。第1回は愛媛県の無形民俗文化財でもある大山祇神社の「御田植祭」(2025年は5月31日斎行予定)をご紹介します。
「大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の御田植祭(おたうえさい)は“エア相撲”が見れるんですよ〜」
相撲は相撲でも、エア相撲!?エアギターではなくエア相撲とは、これいかに!?
13年前、初めて大三島に訪れた際、島内のカフェだか宿だかどこかで聞いたこのワードが島内散策中、どうにもこうにも脳みそから離れない。神事なのに“エア相撲”と言わしめてしまう“それ”はいかなるモノなのか。気になりすぎて、その年の旧暦5月5日、エア相撲を拝むべく、御田植祭めがけて大三島をすぐさま再訪したのだった。
愛媛県今治市最北の島である大三島。広島県尾道市と愛媛県今治市とを10本の橋が繋ぐしまなみ海道の真ん中あたりに位置する周囲約88㎞の島だ。そんな大三島に鎮座する大山祇神社は、島の西側の宮浦港近くにある。
天照大神の兄神・大山積大神(おおやまずみのおおかみ)を御祭神とし、古から参拝客が絶えない。源頼朝や源義経らといった歴史に疎い私でも知っているような歴史上の人物たちが、戦の勝利祈願に参拝し、勝利後に彼らが奉納したとされる鎧が神社の宝物館に展示されていたりする。「義経とか、やっぱりほんまに実在したんやな〜。」と、ガラス越しにマジマジとそれらを見つめてしまった。
さて、この日は御田植祭当日、そして日曜日でもあるため、それはそれは大賑わい。鳥居のすぐ横にある小さな斎田(さいでん)の周りは、人人人の人だかり!斎田とは、神様にお供えする稲を栽培する用の田んぼのコトで、御田植祭はココで行われる。
神事がベスト角度で撮れる位置には三脚を立てたカメラ好きおじさん達がズラズラズラ〜ッと!私のような観光客もちらほら。そして、斎田わきの芝生に腰をおろす島内のおじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃんに子どもたちも、神事の時間が近づくにつれどんどん集まって来て、芝生の緑が見えないほどに。わいわいガヤガヤ、でも、どことなくのんびり。そんな空気感が漂うのは、穏やかな瀬戸内の海に囲まれた島だからに違いない。
斎田の前には……あるあるある!ありますよ!この日のために作られたエア相撲用の土俵が!先ほどから、エア相撲エア相撲と連呼しているが、実は「一人角力(ひとりずもう)」というのが正式な名前だ。
稲の精霊である神様と人間の力士が勝負をし、その年の豊作を占うれっきとした神事であり、愛媛県無形民俗文化財にも指定されている。もちろん、豊作になってくれないと困るので、いつも勝つのは稲の精霊と決まっている(え?早々にネタバレするんじゃない?)。すでに結果がわかっている勝負なのに、こんなに見学者が詰めかけるのは、それはやっぱり私とおなじく“エア相撲”見たさに違いないと、ひとり密かにほくそ笑みながら、斎田を挟んだ土俵の対岸に場所を陣取った。
よく晴れた初夏の昼下がり。いよいよ、土俵にそれらしき方々のご登場である。かっぷくが良く白いまわしを締めた力士役とひょろりとした行司役のおふたり。あれあれ?精霊役は??と思ってしまうところだが、稲の精霊という高貴すぎるお方のお姿は、私たち下界の民の瞳(め)を通しては残念ながら見るコトが叶わないのだ。力士役や行司役には、もしかしたら見えているのかも知れないが。
「東〜西!ただ今より執り行います相撲神事は、古式により稲の精霊と取り組む一人角力、一人角力でございます。」
行司のかけ声の後、力士が斎田に向かっておもむろに四股を踏む。見えないけど、精霊も四股を踏んでいるらしい(たぶん)。続いて、力士が颯爽と土俵に塩を撒く。塩は飛んでないけど精霊も撒いている模様。そして、行司が軍配を片手に声を張り上げる。
「かなた、精霊〜!精霊〜!」
「こなた、一力山(いちりきざん)〜!一力山〜!」
なんと、四股名まであるではないか!なかなかに本格的。
行司の「はっけよい!」のかけ声とともに、一力山と精霊が組み合う。いや、たぶん、組み合っている……はず!私たち下界の民には、片手は宙に回し何かをしかっと握り、もう片手は自分のまわしの腰側を握っている一力山ひとりしか見えてないけれど。でも、瞬時に「精霊のまわしを握ってるんやな」と想像はできてしまう。
まわしを握ったまま土俵内を小刻みに動いていたと思ったら、今度は一力山が体の前で両手のひらを広げて何やら歯を食いしばり、両目をギュッと閉じ、両手足をグググッと踏ん張り始める。微妙に手の位置を変えつつ、足の位置も変えつつ、表情をも変えつつ。
「お!精霊が一力山を押し始めた!」これまた、脳内で絵を思う浮かべる下界の民の私たち。
精霊に押され押される一力山。下界の民には、一力山が顔面から手足の指先まで全身力みまくり、ひとりでものすごく重い物を必死で押しているようなポーズにしか見えない。心なしか、踏ん張りすぎて顔もどんどん赤くなっているような……。だが、押しているのはなんのことはないただの空気(あくまで下界の民目線)。軽いどころか重さなどほぼない。そうこうしているうちに、一力山は精霊に押し切られ土俵の外へ「うあぁ!」と声をあげつつ背中から倒れてしまう。一番目は、精霊の勝利である。
初めて観るエア相撲をカメラにおさめるべくコンデジで動画を撮りまくる。が、もちろん、動画にも精霊のお姿は映らない。
お次の二番目は、一力山が精霊をヒョイと土俵の外へ投げ出し、人間側の勝利と相成る。
そして、迎えた三番目。どちらも負けられない最終戦。ココにきて一力山のエア相撲っぷりは、さらにレベルアップを見せてきた。吊り出しを狙って精霊を持ち上げようとしたら、逆に精霊に持ち上げられ爪先立ちでクルクルと回り出し、そうかと思えば足を取られて片足立ちのままになったり……。驚いたり歯を食いしばったり慌ててみたりと、一力山の表情はコミカルにコロコロ変わっていく。
こんなキャラクターがジブリ映画にも出てきたような気がする。観客からはクスクスと笑いが起きる。次第に、相撲を見ているというよりもひとり芝居を見ているような感覚が湧き始めたのは私だけだろうか?そして、極め付けはラストである。なんと、一力山は精霊に投げられて飛んだのだ!それも、かっぷくの良い身体を軽く宙に浮かせてくるんと回るように。
誰に投げられたわけでもなく(設定上は、精霊に投げられているのだけど)自分ひとりでやってのけるその技よ!高度すぎるやろ!こりゃもう拍手喝采である!いや、精霊の勝利で今年の豊作が約束されたコトに拍手すべきであるのはわかっている。だが、高校演劇をかじっていた私としては、一力山と行司の芝居魂におひねりでも投げたいほどだ。
パントマイムだけならまだしも、姿なきものを相手に相撲をとるだなんて、そして、観客にすんなりと想像させてしまえるほどの演技に仕上げるだなんて、どんだけ稽古を積んだのか!?豊作云々よりもそっちが気になる元演劇部の私。聞けば、一力山と行司は地元の市役所職員さんなのだとか。仕事終わりに稽古されている姿を想像し、これまた、心の中で拍手喝采スタンディングオベーションである。
この一人角力。実は、昭和59年(1984年)に跡を継ぐ人がおらず、一旦、廃れてしまっていたのだそうだ。が、しまなみ海道が開通した平成11年(1999年)に、このふたりが立候補され、それ以来ずっと続けておられるのだという。14年間(2012年時点)も!なるほど、どうりで完成度の高いハイレベルなエア相撲なわけである。
ところで、「一人角力」は何故「相撲」ではなく「角力」と書くのか?
大三島の図書館で読んだ資料によると「相撲を含めた広義の力くらべである角力の文字を用い、一般の相撲とは違うこと、神との力くらべを表すとされる。」とあった。
そう、相撲はもともとスポーツではなく、神事相撲がはじまりである。力士が四股を踏むのも、本来は地中の邪気を祓い大地を鎮めるためのモノ。踏み固めるコトで、土地の精霊を呼び起こし、農作物がよくできる土地にするという意味もある。
また、その昔、大三島では相撲が盛んであり、アマチュアの行司やアマチュアの力士が多くいたのだとか。そんなコトもあって「一人角力」が後から神事に加わったのだろうか?なんでも、「一人角力」が文献に初登場するのは江戸時代中期の1717年と以外にも近世なのである。その当時は、「瀬戸の一人角力」と呼ばれ、大三島の中でも大山祇神社がある集落ではなく、同じ島内の瀬戸崎と呼ばれる集落の人が奉仕するという習慣だったのだとか。ちなみに、その瀬戸崎は、もともと大山祇神社があった場所だという。
そして、当初は一番勝負だったのだが、明治時代ごろに今のような三番勝負になったそう。「一番だけではすぐ終わってつまらんから三番勝負にしようや。神様もその方が楽しいはず!」と、いうような相撲好き島人たちの勢いでますます賑やかになっていったんではないかなと想像を巡らせてしまう。
今や、大山祇神社の御田植祭の顔とも言える「一人角力」は、近世からの神事かもしれないが、この御田植祭自体が大山祇神社の記録に登場するのは、南北朝時代の頃というからかなりの歴史を刻んでいる。はたまた、大山祇神社の裏にそびえる鷲ケ頭山(わしがとうざん)で、弥生時代の稲刈りで使われていたと思われる石包丁が発見されたとかなんとか。つまり、その時代には、すでに大三島に人が住み稲作が行われていたコトになる。同時期に、豊作を祈る神事が行われていてもまったく不思議ではない。
御田植祭のメインは一人角力かのように長々と書いてきたが、本来は一人角力の後に行われる“早乙女による田植え”がメインである。島内13地区から選ばれた小学生の早乙女16人が、白衣に赤い襷・手甲・脚絆を纏い素足で斎田に入り、手作業で1本ずつ苗を植えていく。夏に向けて生い茂る木々の眩しい緑とスカッと広がった青空に紅白の姿はよく映える。そして、めちゃくちゃかわいい!
以前、中国の貴州省を旅した時、少数民族の方々が民族衣装を纏い手作業で田植えをしているところに遭遇したコトがある。藍で染められた生地に細やかな手刺繍がほどこされた民族衣装は田んぼの土でドロドロになっていた。けれど、中国の山の中の大自然と共に生きているその姿がとてつもなく美しく、自分もいつか民族衣装で田植えができたらなどと夢見たのだった。大三島の早乙女たちの姿もまた、日本の民族衣装での田植えの姿。早乙女の年齢の何倍もの歳を重ねてしまってはいるものの「私も、その紅白の衣装を着て田植えがしたい!」と、こっそり心の中で呟いてしまったのは、ココだけの秘密。
「私が子供の頃は、まだまだ島に子供が今より多かったんで、早乙女になる子は“選ばれし者”って感じでしたよ。それに、小さい子ほどよく似合うんですよね〜」
島内散策中に出会った島生まれ育ちの20代の女性がそんなコトを言っていた。早乙女はみんなに順繰りで回ってくるお役目でもないらしい。斎田に植えた苗が立派な黄金色の穂に育つ頃。旧暦9月9日には「抜穂祭(ぬきほさい)」が早乙女たちによって行われる(抜穂祭でも一人角力がある)。
「早乙女さんたちは、稲の根本から刈るんやなくて、穂の部分だけを刈るんや。だから“抜穂”祭言うんや。」と、斎田の面倒を見ているおじちゃんが教えてくれた。
それは、古代の稲刈りの姿そのもの。弥生時代頃は、石包丁で穂だけを刈り取っていたという。その形を残して抜穂祭が行われているというコトは、やはり南北朝時代よりもはるか古から御田植祭が行われていたのかもしれない。
御田植祭を観に行った日から13年。最後に大三島を訪れてからは9年ほど経った2025年4月。御田植祭前の大山祇神社を再び訪れてみた。斎田では、御田植祭で植える用の苗がすくすくと育っていた。斎田の面倒を今年から見るコトになったというおっちゃんがせっせと鳥よけネットを取り付けている。
「このお米の品種は、毎年決まってるんですか?」
13年前は、そんな細かいトコロまで気にならなかったのだが、ここ数年、各地の民俗行事を追いかけるコトに精を出しているからか、ついつい気になってしまう。
「松山三井って品種やね。神社の御神酒を作ってる蔵元さんが松山三井でお酒作ってるからコレって決まってる。」と、作業の手を休めて答えてくれるおっちゃん。
斎田で収穫された稲は、各神事でお供えしたり、毎年旧暦の冬至に行われる「酒口祭(みけぐちさい)」の時の御神酒に使われたりするのだそう。
なんと!日本酒好きとしては斎田の米で作った酒なんぞ呑んでみたいじゃないか!……が、この小さな斎田から取れる米の量で作れる酒の量は、悲しいかな一般人にまで行き渡るような量ではないのはわかりきっている。そして、恐れ多くも神様のお供え物である。下界の民が頂けるものでは到底ない。
私が大三島をご無沙汰していたこの9年ほどの間、しまなみ海道はサイクリストの聖地となり国内外からのサイクリストが増えに増えた。大山祇神社の斎田前にも駐輪スペースが設けられるようになっていた。平日でも、ひっきりなしに参拝客が斎田横の鳥居をくぐる。けれど、一の鳥居はココではない。大山祇神社から徒歩約10分ほどの宮浦港付近にある石造りの鳥居が一の鳥居だ。
しまなみ海道が開通する前、皆、船を利用して参拝にやってきていた。かつては、この一の鳥居をくぐり商店街を抜け、大山祇神社本殿へと向かうのが参道だった。それはそれは賑わっていたに違いない。けれど、現在、船は運行していない。下校途中の地元の高校生が4〜5人、きゃっきゃっと誰も何も来ない朱色の鳥居が連なっているような桟橋で戯れている。そのはずれには、定期バスだか観光バスだかが数台停められているだけ。観光客らしき人の姿は見当たらない。
小さな商店街には、若い人がやっている飲食店やゲストハウスが数軒、新しく増えていた。都会から移住して来た人や、首都圏との二拠点生活の人もちらほらと。それでもやっぱり、他の田舎と同じく島の子どもたちの数は減っていく一方。
「一人角力の後を継ぐ予定の人はいるんですか?」
島内の居酒屋で出会った生粋の島人である30代女性に、ふと聞いてみた。
「今、一人角力をやっているふたりも、もう50代くらいじゃないかな?私が子どもの頃からずっとあのふたり。そろそろ、後継者が出てくれると良いんですけどね。でも、なかなか難しいですよね。なんせ、人前でふんどし姿にならなきゃいけないし。正直、私が子どもの頃も、一人角力への憧れはなかったかな〜。」
寂しいけれど、現代的には大きく頷いてしまう意見でもある。
だがしかし、御田植祭へ一人角力を追加したコトも三番勝負へと回数を増やしたコトも、稲の精霊である神様は長年楽しく付き合ってくださっている。まわしじゃなくても、なんなら許してくれそうな気さえする。もし、再び一人角力が行われない時代が来たとしても、神様と人とが共に、田んぼの周りで笑い合える時間を持てれば、神様はそれだけで嬉しくて豊作を約束してくれるんじゃないかな?と、松山三井で作られた日本酒「山丹正宗」を口に含みながら思う今日この頃である。(あ、「山丹正宗」は大山祇神社の神酒ではないのであしからず〜。)
DATA
■大山祇神社
愛媛県今治市大三島町宮浦3327
https://oomishimagu.jp/
御田植祭:旧暦5月5日
抜穂祭:旧暦9月9日
■八木酒造部
愛媛県今治市旭町3-3-8
https://www.yamatan.jp