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地方創生ニュース 松鳥むうの伝統行事めぐり旅

【長野県松本市・安曇野市】緑町商店街から復活させた「七夕人形」と謎の「カータリ」とは!?

2025/07/01

日本の離島や民俗行事を巡る旅をライフワークにするイラストエッセイストの松鳥むうさんが、その地域にしかない全国のユニークな伝統行事を紹介する連載。第2回は長野県松本市の街中で7月上旬~8月上旬まで見られる「七夕人形」をご紹介します。

ひな人形ならぬ……七夕人形

世に知れ渡っている七夕の物語では、1年に1度の織姫と彦星の逢瀬時、雨が降り天の川の水位が増した際には、たくさんのカササギが羽で橋を造りふたりを渡すコトになっている。なんとも夢のある雅な様子を思い描く。だがしかし、長野県松本市や安曇野市において、そのカササギは登場しない。代わりにその役を担うのは、なんと「おっさん」なのである。なぜに、七夕におっさんが?もしや、彦星と織姫が幸せウキウキ過ぎて仕事をしなくなったコトに憤慨した天帝(てんてい)(てんてい)の化身?いや、そんなご丁寧なコトを空の最高神である天帝が自らするわけがない。だとしたら、このおっさんはどこの誰?
私が、その謎過ぎるおっさんと初対面したのは、長野県松本市にある馬場家住宅の縁側だった。

馬場家住宅の縁側で出会った「おっさん」

新宿駅から特急あずさに乗り松本駅に降り立ったのは日傘なしでは外に出られない猛暑の8月6日。そんな暑さにも関わらず、築約170年の古民家には夏の暑い日差しが入り込むこともなく、開け放されたそれぞれの戸から涼しげな風が天の恵みのように入ってきて、いくぶんか過ごしやすい。縁側からは、庭の小さな池や石造りの灯篭が見え、その周りには陽の光を浴びた草木たちの元気あふれる緑色が眩しい。そして縁側には、小学生の子どもの背丈ほどある人形に本物の浴衣や紙製の着物(紙衣)を着せて横一列に10体ほどが並んで吊り下げられ、外からの風でそよそよと揺れている。

風に吹かれるコトは「祓え」の意味も含まれている。「季節展示 七夕人形が揺れる縁側」(2025年は7月5日〜8月11日開催)

何の人形かと申しますと……これは、七夕人形。ひな祭りじゃあるまいし、なんで、七夕に人形?そうでしょう、そうでしょう、全国の多くの皆さんから見たら不思議な物体であるコトは間違いない。もしかしたら、同じ長野県内の人にとっても謎かもしれない。
ココ、松本市やその隣の安曇野市など旧松本藩あたりのエリアでは、七夕に七夕人形を飾る風習がある。いつ頃から始まったものかはさだかではないらしいのだが、江戸時代後期の文献に木製の人形に紙衣を纏ったものが登場するので、その頃には近い風習があったようす。何を隠そう、私はこの人形を拝むために、1年で1番苦手な季節にも関わらず日傘で炎天を凌ぎつつやってきたのだ。

コチラは紙雛形式の七夕人形

馬場家住宅に飾られている七夕人形には2種類ある。着物掛形式と紙雛形式だ。本来は4種類ほどあるそうなのだが、近年、松本市内で主に飾られているのもこの2種類。着物掛型式は、その名の通り、木で作られた人形に実際の子どもの浴衣が掛けられているもの。紙雛型式は、木製の人形に和紙で作った着物が着せられているもの。それぞれ、共に、織姫と彦星がセットである。昔、初子が生まれると初節句の祝いとして主に母方の実家から七夕人形が贈られたという。この辺りでは、織姫と彦星を合わせて「七夕様」と呼び、「七夕様に着物をお貸せする」と言って、そのシーズンに子どもがまだ1度も袖を通していない着物を着せるコトで、子どもがよりたくさんの着物を着れますように、来年は今の着物よりも良い着物を七夕様が持ってきてくれますように、裁縫が上達しますようにという願いや、子どもが無事に成長するようになどの想いがこめられている。また「虫干し」をする意味もあるとか。

鮮やかな色合いの和紙の着物や涼やかな浴衣を着た人形が風で揺られる姿がなんとも風流で、部屋の中から外からと、行ったり来たりしつつじっくりと眺めていた。私以外にお客さんがいなかったコトもあり、間近でも見ようと近づいたその時、織姫と彦星の間に見えたのだ。なにやら艶かしい木製の生御足が!

謎の足長おっさん登場!?

「……!?」
二度見した。なんか、場違いな人形が一人(一体?)ぶら下がっている。
「なに、これ?七夕にこんなキャラいたっけ?」
速攻Uターンし入口の受付へダッシュ!もちろん、謎なおっさんの正体を聞きにだ。


「あ〜、あれは、カータリや足長って呼ばれるもので、七夕に雨が降って渡れない時に、カータリが担いで運んであげるという言い伝えがあるんですよ。だから、足を出して着物の裾を捲り上げてるでしょ?」と、スタッフさん。

え!?あのおっさんに、織姫だか彦星が担がれて天の川を渡るってコト?それって、江戸時代に川の向こう岸に渡してた川越人足(かわごえにんそく)(かわごえにんそく)そのものでは?カササギだとか白鳥座とかそんな夢夢しいものではなく、めっちゃリアル!

「七夕は、織姫様と彦星様が出会えるように晴れるといいね」と、言う場合が多いが、このあたりではちょっと違ってくる。雨が降った方が喜ばれる地域が多いのだ。それは、この時期は田植え直後で田に水が多く必要にも関わらず干ばつが続く頃でもあるため、雨が降れば豊作になると雨乞いの意味も七夕行事に込められているからだ。「(カータリは)たとえ3粒でも雨が降ると殿様・姫様(七夕様のコトと思われる)と呼ばれる人形を背負って川を渡る」と言う伝承もあるくらい。だからこそ、他府県にはないカータリと言うものが松本には存在感ありまくりで受け継がれているのかもしれない。ちなみに、カータリの語源は「川渡り」。そのまんまである。

「カータリはね、キューピッドなんですよ♪松本市立博物館ではバレンタインの時にカータリのストラップとチョコがセット販売された年もあったんですよ」と、さらにカータリの続報がスタッフさんの口から飛び出した。

おっさんがキューピッド。やや違和感を感じるものの(←失礼)、七夕のキャラクターをバレンタインにも登場させてしまう遊び心満載の発想を博物館がやってのけるというコトにも俄然興味が湧いてきた。えっさほいさとカータリが川を渡るかの如く、炎天下の中、お次は博物館へ向かった。

七夕は、小豆をまぶしたほうとうを食べる日

バレンタインは半年も先だから、カータリストラップとのご対面はほぼほぼ諦めていたのだが……、あった!ありました!ミニミニカータリの木製ストラップが、博物館のショップに!あいにく、チョコとのセットではなく単体ではあったけれど。おっさんだと思ってたカータリが、ミニサイズになると途端に愛くるしく見えてくる不思議。ウヒョウヒョと心躍らせレジに向かったコトは言うまでもない。

可愛さ部分を存分に抽出したカータリストラップ

それに加え、またもや、私の目が輝いてしまうものを博物館のロビー奥で発見してしまった。そこには、七夕人形が飾られていることは七夕月間だからもちろんのコト、お供物のレプリカも一緒に飾られていたのである。実は、私、このお供物も拝みたかったのだ!が、個人宅でない限り見かけるコトは難しかろうと半ば諦めていたのである。そのお供物とは「七夕ほうとう」と「七夕まんじゅう」と「野菜と切り昆布の煮物」のトリオ。

右上:七夕まんじゅう、中央:七夕ほうとう、左上:夏野菜と切り昆布の煮物

「このあたりは、昔から田んぼが多く稲作が盛んだったんですが、小麦もたくさん栽培されていて、うどんを作ったりしてよく食べてたんですよ。だから、小麦の収穫後に行われる七夕行事は、小麦や夏野菜の収穫祝いの意味も込められているんです」。

そう教えてくれたのは、安曇野市豊科郷土博物館のスタッフさん。コチラの博物館にも、七夕人形と七夕まんじゅうのレプリカが飾られていた。ほうとうの原料もまんじゅうの皮の原料も小麦である。そして、このあたりでは小麦は6月下旬から7月上旬に収穫されていたため、新暦の七夕である7月7日だとまだ小麦の収穫が終わっていない。だから、収穫が終わった後、月遅れの8月7日に収穫祝いを込めての七夕を現在も行っている。

「七夕まんじゅう」は蒸したもので中身はあんこ。戦後は子供のおやつとしてもよく作られたのだそう。
また、地元の図書館で読んだ資料によると、大正時代生まれの方の話では、当時は夏の保存食としても大事にされ、水甕で保管し、そのうち糸を引き始めると再び蒸して食べたという。

もう一つの小麦でできたお供物「七夕ほうとう」は、小豆餡もしくはきな粉を麺にからめて冷やした状態で食べるというちょっとおやつっぽさも感じられるものでもある。七夕のお供物であり行事食というと一般的には「そうめん」の認知度が高い。が、実は、そうめんが日本に登場したのは、ほうとうよりも後の時代なのである。ほうとうは、平安時代にはすでに祭りの食とされ、小豆汁をかけて食べられていた。当時、旧暦の七夕の頃は真夏で、前の年に収穫された米が底をつき、また、保存技術もなかった時代であり暑さで食べ物が腐り疫病も流行る。唯一、その時期に収穫される麦で作られた麺は貴重な保存食でもあったとか。となると、松本の七夕ほうとうはその時代からの味を受け継いでいるのである。

現在では、カボチャなどの野菜が入った煮込みのほうとうがメジャーで「小豆×ほうとう」という聞きなれない組み合わせに怪訝な顔をする人もいるが、そうではないのである。小豆との組み合わせの方が元祖なのだ。ちなみに、ほうとうを小豆で食べる文化は意外にも各地に点在している。山梨では、ほかほかの「小豆ほうとう」を食べるし、岩手県沿岸部などでは、お盆がはじまる七日日(なのかび)にクタクタに煮込んだ「小豆ばっとう」を食べる。「ばっとう」は「ほうとう」が訛った言葉である。

8月6日に松本駅近くのスーパーで購入したほうとう。七夕ほうとう用シール付き!

「野菜と切り昆布の煮物」には、夏野菜のナス、ササゲ、ジャガイモやニンジンなどと切り昆布に油揚げが入る。夏野菜の収穫を祝うための一品だ。レプリカでは、普通の油揚げが使用されているが、松本の郷土料理本などを見ていると、本来は干し揚げを使う様子。干し揚げとは、松本の夏に登場する食材で、油揚げを一口サイズ大にして干したもの。松本や安曇野あたりでは、七夕やお盆の行事食に重宝され、この時期の市内のスーパーには山積みで売っている店舗もある。干し揚げを買って帰り、レシピを見ながらこの煮物を作ってみた。切り昆布がいい役割をしていて、暑い夏でも箸が進む良い意味でさっぱりした煮物だった。

コロコロとかわいい形で軽い。中はつまっていないバージョン

七夕人形が生まれる聖地

「現地の人が作った七夕ほうとうに七夕まんじゅう、切り昆布の煮物が食べたい、食べたい、食べたい!どっか、お店でメニューにしてはるトコあらへんかな〜?」などと思いながら、私の足が向かったのは飲食店ではなく七夕人形を作っている「ベラミ人形店」だ。食べらるお店をご存知かもしれないと密かに願いながら。

さほど広くもない道路幅なのに結構な交通量がある道沿いに佇む古民家がベラミ人形店。カラカラとガラス戸を開けると、そこには上から下まで様々な人形がズラズラ〜ッと並べられ、人形制作用の和紙やら布やらが何種類もギュギュと積まれている。「はい〜」と、朗らかな声と共に、店の奥からひょろっとした年配男性が現れた。きっと店主さんに違いない。買う予定はなく、ただいろんな七夕人形を見たいだけで入って来てしまった私。店主さんと1対1は申し訳ないやら緊張するやら……と思ったのも束の間、「七夕人形が見たくて……(あと、七夕ほうとう等が食べられるお店も聞きたくて……)」という私の一言を皮切りに講演会ですか?というくらい、スラスラスラリと流暢に店主さんの七夕人形語りが始まったのである。七夕シーズンだからか店内のほぼ半分を占めている七夕人形たち。天井からは、七夕様が何体かがのれんの如くぶら下がっている。馬場家住宅で見たカータリとはまた違う形のカータリがほんのりゆらゆらと私の頭上で揺れる。

一歩一歩歴史を築いて来られたのが建物からも滲みでているベラミ人形店

「コチラの足が短めで顔が大きいものがカータリ、コチラの足が長くて顔が小さいものが足長なんです。どちらも、木製の部分は職人さんにお願いしているので、今、3ヶ月待ちなんですよ」と、店主さん。カータリと足長は、なんと別物だった。でも、両者とも川を渡す役割には変わりないらしい。そして、数少ない職人さんによる一体一体手作り。ストラップカータリだけでも入手できただけ私は御の字かもしれない。

左が足長。右がカータリ。
中央の馬に乗っているモノは迎馬というそう。左右の上半身が四角いモノは奴灯篭といい、昔は中にロウソクを灯したのだとか。

壁際には着物掛形式人形の着物を着てない織姫と彦星の顔がたてかけられている。
「織姫さんも彦星さんも、時代と共に顔の流行りがありましてね。昔は、彦星さんは聖徳太子さんみたいな顔で、時代と共にスッとした顔立ちで髭も描かれなくなりましたね」。

松本藩の方針で内職として押絵雛を作っていた士族が、この七夕人形の顔の制作も行っていたのではないかという説も

その説明を聞いている私の頭上には、紙雛形式とはまたちょっと違った形の紙の着物を纏った七夕様がいる。

「それは、人がた形式のでして、毎年1枚づつ紙の着物を着せていくんです。いつまでという終わりは決まってないので、大人になっても続けておられる方もいますよ」。
なるほど。異様にぶくぶくした着物だなと思ったのは、重ねていった最終形態なのだ。毎年、衣装が増えるというコトは富を表し、そうなるようにとの願いが込められているのだろう。

毎年衣を重ねられすぎて衣裳持ちになった(!?)人がた形式の七夕人形

お供物3品が食べられるお店も聞こうと思った頃、七夕人形を買い求める年配女性二人組が来店。自宅用だろうか?それともお孫さん用?気になりつつも、入れ違いに店を出た。

七夕人形の過去と現在と未来と…

「七夕まんじゅう」「七夕ほうとう」「野菜と切り昆布の煮物」を探しつつ、まだまだ暑さの残る夕刻、街中をフラフラと彷徨う。困った時は、地元の人がやってる飲み屋に入るべしと言うのが、私の鉄則(呑みたいだけとも言う)。小さな立ち飲み屋で女将に「七夕ほうとうを出してるお店とかありますかね?」と問うと、「今朝、うちも家で作って食べたけど、店では出さないですね〜」と。でも、トイレにはちゃんと七夕人形が飾られていた。なぜトイレなのかは不明だけど。その近くの古書店&カフェでは、店先に七夕様とカータリがゆらゆら吊り下げられて揺れていたので、店主さんに同じ質問をしてみた。「昨年は、家で作って七夕人形に供えましたね〜。うちは、供えるだけで食べないんです」とのお返事。やっぱり、各家庭でのみ作るものらしい。


だが、七夕人形だけは、やたらと見かけたのである。昔ながらの地元感漂う緑町商店街と観光客の通りが多い中町通りで。各店舗、外から見えるドアや窓に織姫と彦星の2体の七夕様を飾っておられる。この光景を見て、松本の人は、みんな家で七夕人形を飾るものなんだと思いきや、実は七夕人形を知らない松本市の街なか生まれ育ちの人が意外と多かったコトに驚いた。宿泊した宿の40代くらいのオーナーも、とあるBarの60代くらいの店主さんも50代くらいの常連さんも、はたまた、別の飲み屋でも60~70代の方々が皆、口を揃えて知らないと言う。
「なんで!?」
思わず、声に出してしまったほど、みんな知らない。ほんまに、なんで?

中町通り。各店舗ごとに全然違うお顔と着物の七夕様たちに出会える

実は、七夕人形は一時期廃れそうになったのだそうだ。それを嘆いたとある二人と松本市立博物館の方が一緒になって、まずは緑町商店街から七夕人形を盛り上げようと活動を始めたらしい。本来、街中の家では外からは見えないところにある縁側などで飾っていた七夕人形を、通りを行く人の目に留まるようにと、玄関などに飾ることにしたのだという。それが昭和60年の話。「え!?私が小学生の頃だから、結構、昔やんか!」心の中で叫んでしまった。興味ない人の瞳には留まらないものなのだろうか?

ベラミ人形店で販売されているミニミニサイズの七夕人形制作キット(カータリ付き)。ちびっ子でも折り紙感覚で作れる

ベラミ人形店の店主さんは、地元の小学校などにミニミニ七夕人形作りを教えに出向くことがあるという。また、松本市立博物館では、子どもたちが学校で作ったであろう七夕人形がズラッと飾られていた。この子たちが大人になった時、子どもの頃に作った七夕人形のコトが少しでも頭の片隅に残っていて、そのうちの数人でも、自分の家に七夕人形を飾る子が現れたらいいのにな。よそ者ながらに、そんなコトを願ってしまう。これは、ここだけの話ではなく、きっとたぶん、全国各地いろんな行事に言えるコトなのかしれない。そして、よそ者の私からすると、七夕人形の中でもカータリなんて突出しすぎる逸材を松本の顔にしないなんて勿体無い!などとも思ってしまう。「松本城よりカータリ!」そんなコトを言ったら、多方面から怒られるのかもだけれど、それくらい、私はカータリがお気に入りであり、松本の未来をかついでくれるように思えて仕方ない。


(データ)
▪️松本市立博物館分館 重要文化財馬場家住宅
長野県松本市内田357-6
https://matsu-haku.com/babake/

※「季節展示 七夕人形が揺れる縁側」は2025年も開催
会期:2025年7月5日(土)〜8月11日(月・祝)観覧料無料

▪️松本市立博物館
長野県松本市大手3-2-21
https://matsumoto-city-museum.jp

▪️安曇野市豊科郷土博物館
長野県安曇野市豊科6000
https://www.city.azumino.nagano.jp/site/museum/

▪️ベラミ人形店
長野県松本市中央3-7-23
https://www.instagram.com/belleamie_dollshop/

松鳥むう(まつとりむう)
離島・ゲストハウス・民俗行事・郷土料理を訪ね歩くコトがライフワーク。その土地の日常にちょっぴりお邪魔させてもらう旅が好き。著書に『トカラ列島 秘境さんぽ』『粕汁の本 はじめました』(共に、西日本出版社)、『むう風土記』(A&F)、『おばあちゃんとわたし』(方丈社)、『島旅ひとりっぷ』(小学館)等がある。 lit.link/muumatutori