日本の離島や民俗行事を巡る旅をライフワークにするイラストエッセイストの松鳥むうさんが、その地域にしかない全国のユニークな伝統行事を紹介する連載。第3回は北海道で8月に行われる旧暦の七夕行事をご紹介します。
8月7日といえば何の日が思い浮かぶだろうか?
「花やしきの日」「バナナの日」「花まるうどんの日」……と、色々あれど、日本の昔ながらの行事の日でもある。それは、旧暦に近い「月遅れの七夕」だ。この8月7日に七夕行事を行う地域は実は意外と各地に存在する。1年に1回と言いつつ、実は1年に2回は逢瀬できてしまっている織姫さまと彦星さま。めでたしめでたし!
ところがである。一般的に知られる七夕とは、ちょっと違う七夕が存在する。それは、北の地・北海道。そもそも、七夕に唄う唄がまったく別物で謎だらけな唄なのだ。
〽︎ローソク出〜せ 出〜せよ 出〜さないとかっちゃくぞ お〜ま〜け〜に喰いつくぞ
ローソクだの、喰いつくだのなかなか穏便ではない。七夕は織姫さまと彦星さまの1年に1回のラブラブハッピーデイではなかったのか?まるで、ローソクの灯火の間に大口を開けたお化けや魔物がゆらゆらと現れ、喰われてしまう様子なんぞを思い浮かべてしまうではないか。しかも「かっちゃく」などという謎言葉が織り込まれている。呪文か!?
その真実をこの瞳で確認すべく、某年の8月7日、私は北海道に飛んだ。
私が訪れたのは、小樽市の少し西側に位置する人口3,200人ほどの「仁木町」。この町で8月に例の唄を唄う七夕行事をやっている地域があると小樽市の知人に紹介してもらったのである。
「この行事を、僕らは“ローソクもらい”と呼んでますね。生まれ育った旭川市ではあちこちで行われてる行事です。コロナ禍以降、旭川でもやらないところが増えてしまったんですけどね。今住んでいる仁木町のこのエリアにはローソクもらいの文化はなかったんですけど、ローソクもらいの文化を無くしたくなくて、地域の人に呼びかけて仁木のローソクもらいを始めたんです。」
そう話してくれたのは知人に紹介してもらった三原さん。知人から「三原さんは、地域のいろんなコトをやっているおもしろい人」というけっこう大雑把な紹介を受けていた。が、廃れそうな行事を廃れそうなその地域ではなく、違う地域で新たにはじめるだなんて、なかなかに斬新……というか、地域の人が受け入れてくれるのがスゴイ!普段からの付き合いを積み重ねた上での人徳が成せる技なんだと思う。
さて、この日は夕方からその「ローソクもらい」が始まるとのコトで、三原邸の前には地域の小学生と未就学児の子供たちが15人ほどとその親御さん数名が集合していた。子どもたちはみんな、片手に空のビニール袋だかエコバックを持ち、もう片方の手には灯りを灯した手持ちの盆提灯を持っている。
「本来は、1グループ6〜10人ほどで、小学六年生の子が下の子どもたちを指揮して子どもたちだけで自発的に行う行事なんですよ。でも、仁木町にはその文化が根付いてないんで、僕たち保護者も一緒に家々をまわるようにしてるんです。」
そうなのである。子どもたちは七夕に“近所の家々をまわる”のだ。冒頭の唄 〽︎ローソク出〜せ 出〜せ〜よ〜 と、唄いながら。どこに七夕の要素があるのかさっぱりわからない。そして、各家からは子どもたちにお菓子がプレゼントされるのである。
「……ん!?その流れ、どっかで見聞きした覚えがある。」と思ったそこのアナタ!ご名答!
毎年10月31日の夜に、カボチャのランタンを持って「Trick or Treat(お菓子をくれなきゃいたずらするぞ)!」と言いながら、各家々を訪れてお菓子をもらい歩くアイルランド生まれアメリカ育ちの行事「ハロウィン」にそっくりなのだ。(平成終わり頃からの日本のハロウィンは、渋谷の仮装大混雑イベントと化してしまっていて、原形はどこへやら〜だけれども)
〽︎ローソク出〜せ出〜せ〜よ 出〜さないとかっちゃくぞ お〜ま〜け〜に喰いつくぞ
玄関先で子どもたちが唄うと、家の人たちがお菓子が入った箱を持って現れ「かっちゃかれても、喰いつかれても嫌だから、お菓子持って行って〜。」などと言い、お菓子を配る。ちなみに、「かっちゃく」とは方言で「ひっかく」という意味なんだそう。
「本当は、子どもたちだけで行う行事だから、予告なしに各家を訪れるんです。その地域の大人たちも自分が子どもの頃に“ローソクもらい”を体験してるから、8月7日になったら、暗黙の了解でお菓子を用意して待ってるんですよ。なんグループも来るから、お菓子が足りなくならないようにいっぱい用意して。」
しかし、仁木町の場合、文化が根付いていないので、三原さんがあらかじめ、各家に“ローソクもらい”の説明とローソクもしくはお菓子の少量配布の協力をお願いをしているのだとか。
「昔はね、この“ローソクもらい”では、子どもたちの間で地域の情報が集積されていったんですよ。」と、懐かしそうに話す三原さん。
「この家はお菓子をいっぱいくれる」「この家はあんまりくれない」「この家は50円をくれた!」「あの家は、男の人のひとり暮らしだからくれない」等々。現代では、たぶん、プライバシーや防犯云々となってしまう場合もあるかもしれないが、隣近所つながりが濃かった時代は、自分の家の近所の人を覚えるのにとてもいい機会だったんじゃないかと想像する。私の故郷も農村の小さな集落で今も隣近所付き合いがあるところだが、世代が違うと集落の行事以外で関わるコトがなく、誰が誰なのかわからないコトが多い。子どもの頃、近所の大人の名前は親が話すから知っていたものの、各大人の顔までなんて全員覚え切れなかった。
ところで、ずっと「ローソクもらい」と書いているが、ローソクの話がまったく出てこない。「ローソク出せよ」と促しているのに、出てくるのはお菓子ばっかり。なのに、なぜ、ローソク?
北海道で「ローソクもらい」の行事がはじまったのは江戸末期ごろの函館あたりではないかという記録がある。当時は、ローソクをもらい歩きその本数を競ったそうだ。が、戦後、徐々に世の中が豊かになっていき、子どもたちはローソクだけでは喜ばず、次第にお菓子をあげる家が増えていったのだそう。そして、近年においては、お菓子にも飢えない時代になりお菓子でも喜ばないのでお金を渡す家もちらほら出はじめ、流石にそれは……と学校側からも懸念の声が上がり「ローソクもらい」自体無くなった地域もあるとか。豊かになるコトで失うモノが出てきてしまう。良いのか悪いのか……。
確かに、私たちアラフィフ世代の子どもの頃は、今の子ほどお菓子をたくさん買ってもらえたわけではないので、お菓子を一度にたくさんもらえる行事は何日も前からワクワクしていた思い出がある。が、今回、仁木の子たちを見ていても、お菓子に群がるコトも取り合うコトもせず、整然と1列に並んでもらっていた。お菓子が余ってると大人が「まだ、もらっていない人〜」と声をかけるほど。行事というのは、時代とともに変わって行く。逆を言えば、時代の変化に呼応できる行事は後世に残っていく。
だがしかし、そもそものそもそも、なぜ、昔の子どもたちはローソクをもらい歩いていたのか?今よりも貧しかった昔こそ、食べるモノの方が嬉しかったのでは?
その「なぜ」の答えに辿り着くには「七夕行事」に、なぜか「お盆行事」が混じり込んでくるのである。
8月7日という日は月遅れの七夕でもあると同時に、「ナノカビ」「ナヌカビ」「七日盆」などと呼ばれ、お盆の始まりの日でもあるコトをご存知だろうか?この日は、墓掃除をしたり仏具を磨いたり、また、7回水浴びをして身を清め穢れを祓うという風習がある(もしくは、あった)地域も存在する。そして、また、七夕祭りとして笹飾りや灯篭を川や海に流すトコロもあった。これもまた穢れを祓うコトを意味し、そして無病息災を祈るという日でもあったのだ。その灯籠流しの規模がやたらとでっかくなったのが、毎年8月2〜7日に青森市で行われる「ねぶた祭」なのである。かつては旧暦の7月7日に行われていたモノで、これも実は七夕行事のひとつ。最終日の夜に行われる海上運行は“海へ灯籠を流し穢れを祓う”という七夕行事の名残を残している。海に浮かぶ大型ねぶた(人形灯籠)を海に浮かべる。サイズ感は桁違いだが灯籠流しには違いない。
そして、この「ねぶた」の灯籠流しの文化は、東北から開拓民がたくさん渡った北海道でも行われていたという。今の青森市の「ねぶた」ほどの大きな規模ではなかったかもしれないが。
「ねぶた」を行う際に必要になってくるのが、灯篭を灯す灯り。つまり、ローソク。電気がなかった時代、ローソクはとっても貴重品!けど、灯籠流しには一度にたくさんのローソクが必要になってくる。そのため、子どもたちが各家にローソクの寄付をお願いして歩いていたのが「ローソクもらい」のはじまりなのだそうな。そして、北海道に程近い青森県の下北半島や津軽各地では、昔、ねぶたを引く時の掛け声で「出せ 出せ ローソク出せ 出さねば かっちゃくぞ」というモノがあったらしい。まさしく、北海道の「ローソクもらい」の唄そのもの!
さらにもうひとつ、興味深い繋がりがある。青森のねぶたでは「跳人(はねと)」という存在がいる。「ラッセラー ラッセラー ラッセ ラッセ ラッセラー」と声を張り上げながら、ねぶたの列の中で飛び跳ね踊り、ねぶたを盛り上げる人たちだ。地元の人でも観光客でも衣装さえ着れば飛び入り参加できてしまうので、毎年この跳人になりに全国各地から訪れる旅人やライダーも多い。衣装は、その辺のスーパーでも売っているというからビックリだ。
この跳人の掛け声の「ラッセラー ラッセラー」は、もともと「ラッセ ラッセ」や「ラセ ラセ」だったそう。これは、「ローソク出せ 出せ」と練り歩いたのが元になっているのではないかという説も聞かれる。
そんなこんなで、東北から北海道に入って来た「ローソク出せ 出せ」。これが囃子唄となり、道内に拡まるにつれ歌詞やメロディが地域ごとに微妙に違うものへと変化していった。函館市出身の友人に「ローソクもらい」の唄を歌ってもらったところ、仁木町の三原さんの唄(元は三原さんの出身地・旭川市で唄われていたモノ)と歌詞もメロディもまったく別物だった。
〽︎竹〜に短冊七夕まつり おおいに祝おう ローソク1本頂戴な
かっちゃかれもしなければ喰われもしない。かつ、ローソク「出せ」ではなく「頂戴」と言い、さらに“1本”と超控えめ。違いすぎるやろ(笑)!ちゃんとローソクをもらい、お菓子ももらっていたという。そして、浴衣を着て着飾って巡るモノだったのだそう。今でも、函館では、子どもたちは浴衣を着て巡っている。また、商店街などでイベント化した大規模なモノになっている地域もあるとか。
ちなみに、友人の故郷では「ローソクもらい」とは言わず、ふつうに「七夕」と言い、新暦の7月7日に行うそう。
そして、もうひとつこの唄には気になる箇所がある。それは「竹」という歌詞。全体的に寒い北海道には竹はほとんど生育していない。だが、道南あたりには、竹が自生している地域があったため、昔、道内で七夕に笹飾りを飾っていたのは函館をはじめとする道南エリアだった。なので、函館のローソクもらいの唄には、冒頭に「竹」が登場するのである。
かといって、道内の竹が自生していない他の地域が七夕飾りをしていなかったわけではない。なんと、笹の代わりに笹に似た「柳」を使って七夕飾りをしていたのだそう。
柳というと、川沿いでたら〜んと枝垂れていて、その下には幽霊が……という絵が、私は思い浮かんでしまう。これまた、七夕のイメージが湧かない。まして近年では、そんな飾りをしている家に、街中では出逢えないだろうと諦めていた。が、仁木町のローソクもらいに訪れる前に、たまたま訪れた札幌市の「野外博物館 北海道開拓の村」で出逢えてしまったのである。柳の七夕飾りに!この「開拓の村」というのは、北海道の明治から昭和初期にかけての建造物が移築や復元されて広大な敷地に点在しておりタイムスリップした気分を味わえる場所。近年では、『ゴールデンカムイ』の聖地にもなっている。村内には、おしゃべり好きなボランティアさんもたくさんおられ、個人的にはその方々とお話するのも楽しみな場所でもある。
さて、柳の七夕飾りはというと……笹飾りのように大きくはなく、こぢんまりとしていて枝垂れすぎてもいないので幽霊感もゼロ(笑)!住宅街のベランダにも良きサイズ。ミニミニ柳が花屋に売っていたら飾ってみたいかも。
今現在、道内で「ローソクもらい」を行なっている地域はどれくらいあるのだろう?北海道在住もしくは、北海道出身のあなたの地域では、今もやっているだろうか?
今回の旅の途中、道内で知り合った札幌市白石区出身の20代前半の方が「小学生の時にやってましたよ」と言っていた。とすると、10年ほど前の話だ。さほど遠い昔の話ではない。札幌市内なら、他地域に比べて子どもの人数もゼロではないはず。だとすれば、今も受け継がれているかもしれない。
今年の8月7日(ないしは7月7日)、〽︎ローソク出〜せ 出〜せ〜よ〜 と、子どもたちの歌声が夜の町に響き渡るコトを、天の川の星々を眺めながら祈るばかりである。
(データ)
▪️ねぶたの家 ワ・ラッセ
青森県青森市安方1-1-1
https://www.nebuta.jp/warasse/
▪️野外博物館 北海道開拓の村
北海道札幌市厚別区厚別町小野幌50-1
https://www.kaitaku.or.jp
▪️珈琲とお酒 プラテーロ
神奈川県鎌倉市大町1-2-15
https://platero.mystrikingly.com