
「お!それ、フラフやねぇ〜!」
「フラフや!フラフや!」
高知県の橋で繋がった離島・柏島に行った際、大漁旗をリメイクしたワンピースを着ている私を見て、島のおじいちゃんおばあちゃんたちが次々に声をかけてくれた。謎のワードと共に。
「フラフ?フラフって、なんですのん?」
大漁旗ワンピースは私のお気に入りで旅先にはいつも着て行く。これを着ていると、おばあちゃんだけでなく、いつもはあまり声をかけてくれなさそうなおじいちゃんたちも声をかけてくれるからだ。消えていってしまいそうな郷土料理や小さな民俗行事を追いかけている者としては、おじいちゃんやおばあちゃんとお話ができるというコトは昔の貴重なお話が聞けるチャンスでもあり、会話のきっかけ作りにも重宝しているワンピースなのである。他の離島や港町でも「大漁旗や!」とはよく声をかけてもらうが「フラフ」などと声をかけられたのは初めてだった。
「端午の節句の時に飾る旗ながよ。」
島の交差点のちょっとした広場的な場所に集まっていた5人ほどのおじいちゃんおばあちゃんの中のひとりが答えてくれた。が、それは、私の脳内にますます「?マーク」を増やしてしまった。
んんっ?高知では鯉のぼりやなくて旗を飾る?どういうコト??
端午の節句に鯉のぼりと共に子供の名前入りの幟を飾る地域は全国にもある。が、旗とはいかに?

その後、県内を移動し須崎市に立ち寄った。すると、商店街の中に昔ながらの染め物屋さんがありそこにデカデカと飾られているモノに目が留まったのである。
「もしや、フラフってこれのコトか!?」
それは、サイズは大漁旗と同じぐらいの旗だが、描かれているモノが明らかに違う。大漁旗は「大漁」の文字や「○○丸」といったその船の名前と共に、魚などの絵が描かれているコトが多い。が、その店先にあった旗には男性の下の名前と金太郎が描かれていた。店の人に聞くと、やはりその旗はフラフと呼ばれるモノであり、県内でも東の方の地域が端午の節句時に飾るのだという。ちなみに、この「フラフ」と言う名の語源はオランダ語の「フラフ(vlag)」だとか、アメリカから帰国した高知県出身のジョン万次郎が漁船の大漁旗を見て「フラッグ(flag)」と言ったからだとか諸説ある。が、高知県では現在でも大漁旗のコトもフラフと呼ぶのだそうな。以外にも、海外の言葉からの名前だとは、さすが、開国の際に何かと関わっている土佐藩だけある。
いかん……俄然、興味が湧いて来た!端午の節句といえばG W真っ只中。基本、人混みが苦手な私は、大型連休には動かない。というか動きたくない。しかし、こればかりは、人混みを我慢して動かねばならぬぞ私!と、誰にも頼まれたわけでもないのに気合いを入れ、今度の端午の節句に高知県を再訪する決意をしたのだった。
その年は、4月のG Wと5月のG Wの間に平日が挟まれており、少しでも人混みは避けたい私はもちろんそこを狙って高知県へ。私の読みは良かったようで、岡山駅から高知駅へと走る特急南風はガラガラの空き空き。
「良き良き、快適じゃ♪」
すっかり殿気分。なんせ、その車両、途中から私しか乗っていなかったのだから。逆に特急の存続を心配してしまうほど。
徳島県と高知県の県境は山深い。青々とした森林が超密集している。そんな景色をぼ〜っと車窓から眺めていた。カツオのおかげで海のイメージが強い高知県だが実は森林率84%と全国1位なのである。その山間部にも、もちろん人々が住んでいる。そりゃ、町に比べると人家は少ないけれど。そんな少ない家の隙間に、ふっと見えたのである。何やらカラフルなモノが!
「!?フラフ!!??」
咄嗟に窓に張り付いた。が、これは特急列車である。「今のフラフの写真を撮りたい!」とスマホを取り出してる間にフラフはとっくに見えなくなってしまった。けれど、今の時期、ちゃんとフラフが飾られているコト、そして、山間部でもその文化があるコトが確認出来ただけでも「世は満足じゃ♪」な心境だった。
高知駅到着と同時に駅のコインロッカーに荷物を置くと、再び電車に乗り込んだ。香美市に向かうために。フラフの情報はなぜかとっても少ない。高知県立図書館に行っても、数える程度の資料しか見つけられなかった。その数少ない資料から得た情報で香美市や香南市、南国市あたりがフラフをよく飾る地域だと知ったからだ。 土佐山田駅で下車すると、ホームからアンパンマンキャラたちがお出迎えをしてくれる。そう、ココは『アンパンマン』の作者であるやなせたかし先生が子供の頃にすごした町であり、現在は「アンパンマンミュージアム」の総本山的存在のミュージアムがある町なのである。
レンタサイクルを借りるべく、駅前の「香美市いんふぉめーしょん」にお邪魔すると、そこにはアンパンマンが描かれたフラフが!これは、ココでひとつ聞いてみても良いかもしれない。
「私、フラフを見に来たんですけど、どこらへんに行ったらフラフが見れるとかあります?」
すぐにいくつか教えてもらえるかと思いきや、お答えは私の期待とは違う方向だった。
「フラフを飾れるほど広い庭がある家が減ってしまったので、あんまり見られなくなったんですよ……。」と。
ココにも、やはり、時代の流れが……。残念極まりない顔をしている私をフォローするかのようにスタッフさんが教えてくれた。
「染め物屋さんが数軒ありまして、そこならフラフを飾られていると思いますよ。」と。
言われるがままにチャリを漕ぎ漕ぎ染め物屋さんが三軒かたまっているエリアへと向かう(ちなみに、このレンタサイクル、台数は少ないのだが無料なのである。なんて旅人に優しいんだ!)。
香美市には物部川という一級河川が流れている。昔から、その川の水を利用した染め物が盛んだったコトもあり、フラフ作りには適した地域なのである。今もなお営業をされている三軒のうちの一軒「ハチロー染工場」さんが庭にフラフを掲げていた。フラフの下には鯉のぼりも3匹尻尾をはためかせている。どうやらフラフ単体ではなく、鯉のぼりとセットで飾るようである。
「今、飾ってるフラフは小さめのサイズのモノなので、通常サイズのモノを飾ってみましょうか?」
突然お邪魔したにも関わらず、私がフラフめぐりに香美市に来たと言うと、店の奥から巨大なフラフを持って来て下さった。
「めっちゃでかいですね…!」
フラフを挙げるポールの周囲の地面を全て覆うほどの布の量。どう見ても、布団よりでかい。

「フラフは昔ながらの通常サイズで10畳分、特大になると18畳分の大きさになるんですよ。」と、お店の方がおっしゃる。18畳!?6畳が3部屋分!?2Kの私の部屋よりデカイんですけど!!そんなとんでもないサイズ、ポールに挙げて風にはためくのか!?
「フラフを挙げるポールは必ず“檜”を使うんです。鉄やアルミだと、フラフがはためく重さに耐えられないんです。丈夫そうに思える竹でも7年はもたないですね。」と。
フラフは、男の子が生まれて7歳の歳まで飾るそうで、その7年間、風にはためくフラフの動きに耐えうるのが檜だという。しかも、10mくらいの長さを要する。フラフもデカけりゃ棒もデカイ……。それに、その檜を立てるためには、庭に1.5〜2mの穴をまず掘らないといけないらしい。その時点で、大人の男性が1人で挙げられるモノではない。4~5人集まらないと難しいのだそう。
「それに、フラフは毎朝挙げて、毎夕片付けるんですよ。そして、雨の日はフラフが痛むので飾らないんです。」と、これまた、お店の方からの驚愕発言。
「え!?1度挙げたら挙げっぱなしやないんですか?」
毎日挙げて片付けてって……それは、想像してたよりめちゃんこ手間がかかる!さらに、風に煽られて、フラフが電線に引っかかってしまった日には、10mの檜を建て直すトコロからやり直すのだそう。つまり、再び、大人4~5人集めないといけない。
「今は、お子さんの親御さんは外に働きに行っている家が多いから朝夕は忙しくてなかなか難しいので、必然と家にいるおじいさんとおばあさんがその担当になってしまうんです。そうすると、ますます負担になってしまって、フラフを飾る家が減る原因のひとつでもあるんですよ。」
フラフを挙げる家が減ったのは、庭がない家が増えただけではなかったのだ。

知県内全域がフラフを挙げるのかというと、そうではない。県内の西側は鯉のぼりと共に縦長の幟を飾る。他府県でも見かける形である。一方、フラフを挙げるのは県内の東側。特に、香美市・香南市・南国市あたりなのだそうだ。それはこのあたりが、香長平野が広がる地域であり土佐湾からの強い風が吹く場所であるため、風に当たって揺れ動く姿が美しいから幟ではなくフラフを飾るようになったとか。が、いつ頃からはじまったかはハッキリしていないという。
その中でも、考えられるフラフのルーツがふたつ。ひとつは、先にも触れた大漁旗にそもそも馴染みがあったからという説。そして、もうひとつは、江戸時代後期、土佐藩では端午の節句の際に門前に「横幟」というモノを張り巡らせていたらしい。その名残がフラフなのではという説である。通常の幟は縦長だが、それを横向きにしたモノのよう。
ちなみに、今回、香美市をフラフを求めてチャリンコであっちへこっちへと走りまくっていたら、檜やポールでフラフを挙げるのではなく、家の窓に内側から貼り付けてある家や、外壁に貼り付けられているフラフもあった。たぶん立地上、そのような飾り方になったのだろうけれど、江戸時代後期の横幟を再現しているかのような偶然が発生していた。

明治時代にはフラフは高級品なため税金がかけられていたようで、飾るコトができるのは限られた家だけだったよう。庶民に拡がったのは戦後から昭和30年代後半と、以外にも近年。高度成長期で庶民も豊かになり、同時に、子どももどんどん増えた時期だったコトもあり、フラフブームに繋がったのだとか。
それが、時代とともに、核家族化や少子化により、フラフをあげられるような広い庭もなくなり、10mもある檜を1年間収納して置く小屋がない家も増え、今は、外で魅せるモノというより、室内や小さな庭でも飾れるミニサイズの需要も増えてきているとかなんとか。
香美市の町中を流れる物部川にかかる橋からフラフらしきモノが見えないかと、チャリンコを停め香長平野を360度ぐるりと眺めて見た。すると、住宅街の中の家の屋根とほぼ同じ高さでちらほらと見え隠れするカラフルな動く物体が!
「絶対、あれフラフや!」
チャリへ乗り直し、道が分からなけど、とりあえず、カラフルが見え隠れする方向へとペダルを漕ぎ進める。
くねくねと入り組んだ住宅街の中、田んぼが数枚拡がる場所にそのフラフは立っていた。しかも、ふたつが1枚ずつ1つのポールに掲げられている。五月晴れの青空と田植え直後で水面に緑の苗が顔を出している。それが、また、フラフの存在感をより一層際立たせている。

色んな角度から、でも、あんまり怪しい感じにならないように遠目でフラフの写真を撮っていたら、背後から声をかけられた。
「フラフ撮りゆうが?」
60~70代くらいのおっちゃんが畑仕事の手を休めて、私の方に寄って来た。もしかして、遠目でも勝手に撮ったらいかんかったかな(汗)?と、オドオド気味になっていると「あれ、うちのフラフで!男の子1人と女の子2人おるがよ。」と、おっちゃん。
「え?フラフが2枚やから、男の子2人ではないんですか?」思わず聞き返してしまった。
「女の子の分は、鯉のぼりが2匹あるろ?あれよ!」と、おっちゃん。
「男の子1人にフラフ2枚も用意するんですか!?」
「女の子は、雛人形があるろ?」
そりゃ、そうだが。通常は、一家から1枚贈られることが普通だそうで、昔は、お嫁さんの実家から贈られることを基本に、旦那さんの家や親戚からもらわれることもあったそう。豪気に2枚もなんて、びっくり!だって、1枚1枚手描き手染めのフラフはやっぱりそれなりのお値段するのだから。
「フラフはおじいちゃんが贈るもんながよ。」と、ちょっとどこか誇らしげな笑みが溢れるおっちゃん。
この世にやって来た孫へのおじいちゃんからの最初の特大プレゼントなんだろうなと。ちなみに、フラフは子供の健やかな成長を祈るモノであると同時に、その子の厄災をフラフが肩代わりするという意味もあるのだとか。飾る期間が7歳までというのも、医療が発達していなかったその昔は「7歳までは神の子」と言われ、7歳までに亡くなってしまう子も多かったからなのではないかと思う。
しかし、そんな豪勢な贈り物なのに、飾られるのはそのたったの7年。なんだか勿体無いような気もする。7年経った後のフラフはどうするのかと、フラフ巡り中に出会った何人かに聞いてみた。昔は、布団を包む布にしたりしていたとか。が、最近では布団を布で包むというコトもなくタンスの肥やし状態の場合も多いのだそう。服や雑貨にリメイクをする人もいるが、そんなに多くはないという。

そんな中、使われなくなったフラフを集めて行われているコトがある。香美市の公共施設などにそれらのフラフを端午の節句の時期(4月下旬あたりから5月いっぱい)に飾るという活動である。
私が巡っている時も、消防署には横幟のように飾られ、図書館には室内に貼られており、某所の公民館ではグランドのポールで風になびいていた。同じ施設で毎年同じ絵柄のフラフを挙げるのではなく、毎年、違う絵柄のフラフをあげる仕組みになっているのだとか。
神の子の時が過ぎても元気に成長する子が増えた現代。7年経った後もフラフを飾るコトで、ずっとその子を、はたまた、地域の子どもたちをずっと見守る存在にフラフがなっていくのも、ある意味、令和という時代の新しい民俗の形のはじまりになるのかもしれない。
・香美市いんふぉめーしょん
W E Bサイト
http://www.kigenhaeikayo.com/page/00000081.htm
・ハチロー染工場
W E Bサイト
http://www.hachiro-some.co.jp
【Special thanks】
・靖子
・かつおゲストハウス
W E Bサイト
https://katuo-gh.com