
山形県酒田市出身の写真家・本間寛さんがいま、故郷・酒田、そして庄内を舞台に、新たなプロジェクトの実現に向けて動き始めています。
地元の高専の電気工学科卒業後、六本木の撮影スタジオへ。その後、パリ、ニューヨークへと渡り、世界の現場でさらなる研鑽を重ねました。
ファッション、ポートレート、広告など幅広いジャンルでキャリアを築き、『L’UOMO VOGUE』などの海外の一流モード誌の撮影、ジョニー・デップやウィル・スミスをはじめとする国内外の俳優やアーティストの撮影を手がけるなど、幅広く活躍を続けてきました。
そんな本間さんが、改めて目を向けているのが、生まれ故郷の酒田、そして庄内です。
酒田を世界的な写真フェスティバルで知られるフランスのアルル市のように「写真の街」として新たな魅力を持つ地域へと育てていくこと。年に一度の写真イベントを開催して終わるのではなく、世界中から写真を目的に人が訪れ、写真愛好家やクリエイター、地域の人々が年間を通して行き交う…。故郷、酒田をそんな街にしたい。
世界を見てきた写真家は、なぜいま、故郷・酒田の未来を写真で描こうとしているのか。
その原点には、『街を元気にしたい。そのために、自分ができることが写真だった』という、シンプルで強い思いがありました。
第一回は、本間さんの活動の原点と、『写真の街・酒田』構想に込めた思いを聞きます。
―そもそも、本間さんが酒田を写真で盛り上げようと思ったきっかけは、いつ頃だったのでしょう?
本間さん「きっかけは、コロナ前の2018年頃かな。
2016年に母親が入院して実家に帰る頻度が少しずつ増えていって。
そうすると、帰るたびに『街が元気なくなってるな』と思うようになったんですよね」

―帰る頻度が増えたことで、故郷の変化がより見えるようになった。
「そう。そこから、『この街、どうにかならないのかな』って、漠然と思うようになったんです」
その頃、本間さん自身にも、もうひとつ変化があった。
東京で仕事をする一方、故郷に帰る機会が増えたことで、実家に自分の暗室をつくろうと思い立ったのだ。
「以前は、自分の事務所内に暗室スタジオがあったのだけど、そこから移ってしまったので、暗室が欲しかったんですよ」
そんなとき、たまたま実家に、以前、祖父母が使っていた農作業道具などをしまっていた倉庫があることを思い出しました。そこには野菜を洗うためのシンクが残っていて、暗室でプリントする際の現像スペースとしてぴったりな場所で。
さらに、その蛇口から出る水は、なんと井戸水で。水質検査をしたら飲料水としても問題ないほど良質な水だったんです。以前、東京のスタジオで使っていた水と比べても、むしろこちらのほうがいいくらい」
―おじいさま、おばあさまが残してくれた倉庫や井戸水が、思いがけず写真のための場所としてつながっていったんですね。
「そう。DIYでできるところは自分でやって、業者に頼むところは頼んで。ようやく“自分の写真をプリントする”という環境が実家にできた。
そこでふと、『自分のことはこれでできる。でも、この静まりかえった酒田をどうにかできないかな』と思ったんです」
そこで本間さんが着目したのが、酒田が誇る写真家、土門拳だった。
「酒田には、日本を代表する写真家である土門拳さんという大きな存在があります。その精神を受け継ぐ土門拳写真美術館があって、そこには寄贈された膨大な作品がある。
だったら、土門拳さんをひとつのフックにして、酒田を『写真の街』にできないかなと思ったんです。
そこで2019年、酒田市に『写真の街・酒田』という企画書を出しました」
本間さんが参考にしたのは、フランス南部の街・アルル。世界的な写真祭で知られる、いわば「写真の街」だ。
「2010年にアルルに行ったんです。
実際に写真祭を見て、どういうふうに運営しているのか、予算はどのくらいなのか、自分なりに見てきた。
アルルは人口規模でいうと5万人前後で、酒田より小さい街だけど、写真祭の時期になると、世界中から写真愛好家やプロ、写真関係者が集まってくる。
だから酒田でも、やるなら単に『写真展をやりましょう』ということじゃなくて、
『世界トップクラスの写真の街を目指す』というくらいのことをやりたいと思ったんです。
方法論や予算、誰に声をかけて、どうスタートするか。自分が考えられる範囲で、かなり細かく企画書に書きました。
でも、行政に行くと、やっぱり『予算がない』という話になる。
『本間さんが写真展をやりたいということなら、場所を一緒に考えたり、協力はできます』と言われたんだけど…。いや、そういうことじゃないんだけどな…と思って。
そこで、役所だけに頼っていては前には進まないなと思ったんです。
だったら、写真に関わる人たちに働きかけて、自分たちで動き出して、こっちから街を動かしていこう…と。
酒田の写真館を調べて、翌日、5、6軒ほど、すべて回りました。
皆さん、熱心に話を聞いてくれて、大いに盛り上がり、企画に賛同してくださったのですが、すぐには具体的に動きには至らずで…」
そんな本間さんに、思わぬところから理解者が現れる。
「酒田の老舗寿司屋さんの東京店で、大将と話をしていたら、『その企画書、見せたい人がいる』と言われて。そこから、酒田の観光行政・財界の有力者につないでもらったんです。企画書を見て、『これは面白い。ぜひやりましょう』と言っていただいて。
こんなにも前向きに、共に具体的なアクションまで考えてくださる方がいるんだと、とても心強く感じました。自分が考えてきた方向性は間違っていないんだと改めて実感し、この構想に確かな手応えを感じることができました」
では、本間さんが考える『写真の街』とは、どんな街なのだろう。
「自分が考えている『写真の街』は、年に一回、大きな写真イベントを開催して、
何万人来ました…ということだけじゃないと思っていて。
アルルは、写真祭の期間は一気に人が集まるけど、祭りが終わったら、またいつものアルルに戻ってしまう。
そうではなくて、“一年を通して、何かしら常に写真の発信が行われている街”、酒田はそういう場所にしたいんです。
例えば、シャッター街になっている商店街があるなら、そこを使ってゲリラ的に写真展をやってもいい。
酒田に行けば、いつも、どこかで何か写真展をやっている、イベントをやっている、みたいな。それくらい、写真が街の中に普通に存在している状態にできたらいいなと。
例えば、小学生に『自分が撮った家族写真』を応募してもらうような企画。小学1年生が見た家族。大人が撮った家族写真とは違うでしょう。そういう写真を集めて、選んで、展示して、発信して。
できれば、そこからさらに世界に出ていく仕組みもつくりたいですね」
本間さんの構想は、プロの写真家だけを対象にしたものではない。
むしろ、写真を撮ること見ることが好きな普通の人たちが一緒に楽しめる場所を作ることが重要だという。
「写真学校で写真を学ぶ、というのもいいけどもっと身近に写真にどっぷり浸れる環境があるのも面白いかなと思う。写真という道具表現の延長線上で今も頼まれて撮影してる狂言師、歌舞伎役者、能面師、書家、料理人、手仕事の職人等伝統的なライン。あとはサブカルのコスプレイヤー、彫師、ミュージッシャン等々。写真は文化やあらゆる事象と交われるのでとても面白いしその意味ではダイナミック。みなさんの興味の接点に必ず写真がある。なのでそれぞれの趣味嗜好に乗っかった上での写真の接点が環境として酒田にあればいい。写真集に囲まれたカフェ、ミュージシャンの公開練習スタジオ、爆発花生け展示スポット、勝手に持ち込んで写真や絵を貼っていいフリースペースギャラリー、まだまだいっぱい。例えば僕は今庄内の面白い活動をしてる人を2年近く撮ってるんだけど、アシスタントとしてその現場を手伝ってもらうとか、そこでちょっと撮影もしてみる。撮影しているところを学生に撮ってもらって、それをSNSやWEBで発信してもらう。それを見ることで写真に対する興味、被写体に対する興味が断然強くなることもあると思う」

―東北公益文科大学など、地域の大学と連携する可能性もありますよね。
「そうですね。ただコンテンツをつくるだけじゃなくて、地域連携や産学連携として、実際に動いているプロジェクトに学生が参加する。そうすると、写真を学びたい若い人が入ってくる可能性もある」
―地方創生の取り組みは、どうしても似たようなものになりがちですよね。
色んな地方である成功事例を元に同じようなことをやろうとしているから、似たような形になってしまう。でも、本当は、その土地、その土地で違ってくると思う。結局、やっぱり“人”だと思うんですよね。
誰が写真を撮るのか。誰がその人を撮りたいと思うのか。誰がそこに関わるのか。
本間さんがやるからこそ、このプロジェクトは全然違うものになると思います。
「うん。結局そうなるんだよね。『この人を撮りたい』と思って声をかけたら、そこから面白い人が集まってくる。その中に農家さんがいるかもしれない。シェフがいるかもしれない。
アーティストがいるかもしれない
そうやって写真を起点にしていながら、食や農など、いろいろなものにつながっていく。最初から全部を決めてしまう必要はないと思うんです。関わる人や時間によって、自然と形は変わっていく。
そもそも僕が『写真の街』をやろうと思った原点は、『酒田、元気ないな。この街、どうにかならないのかな』という思いなわけですよ。最初から、じゃあ写真で街を元気にしようと考えたわけではない。だから、写真が一番じゃなくてもいい。
たまたま自分が写真に関わっているから、自分が何かを仕掛けるなら写真になる。でも、写真でしか街を元気にできないとは思ってはいないんです。
僕にとって大切なのは、写真祭を成功させることではなく、『自分の街って、こんなに面白いんだ』と、そこに暮らす人たちが心から思えること。
酒田には土門拳さんがいる。おいしい米や食があり、海も山もある。面白い人もいる。
そうした魅力に気づいて、
今日、こんなことがあったよと、誰かにすぐ伝えたくなる。そんなふうに、街の中で何かが動き続けている状態が、僕の思う、元気な街なんです。
その意味では、酒田だけで完結させる必要もないと思っています。
酒田には写真がある。隣の鶴岡には食文化がある。さらに、農、自然、温泉、歴史や文化がある。
それぞれの地域が持っているものをつないでいけば、“庄内”という大きな文化圏として、もっと面白いことができる。
だから僕が今考えているのは、単純な写真イベントではなく、『庄内文化圏の再編集』なんです。
写真を入口に、人や食、農、自然、文化とつながっていく。 新しい観光資源をゼロからつくるのではなく、すでにあるものをもう一度見つめ直して、組み合わせていく。あるものを、全部使えばいい」

―写真を核にしながらも、その先にあるのは「写真の街」だけではないんですね。
「そうですね。最初から大きなものをつくろうとしなくてもいいと思う。
まずは小さくても、実際に動かして『こういうことをやっています』と見える形にする。
そうすると、『面白そうだから自分も関わりたい』という人が出てくる。
だから、まず進めることだと思っています」
本間さんが描く「写真の街・酒田」は、年に一度の写真祭を開催して終わるプロジェクトではない。
写真を撮るために人が訪れ、写真を通して街や人を知る。そこから食や農、自然、文化へと興味が広がり、今度は地域に暮らす人自身が、自分たちの街の魅力を発見していく。
その循環の先に、『写真を撮りに行きたい街』そして『人に会いに行きたい場所』が生まれていく。
本間さんが写真を通して見つめているのは、写真そのものの未来だけではない。
『街を元気にしたい。そのために、自分ができることが写真だった』、そのシンプルな思いこそが、「写真の街・酒田」、そして庄内のこれからを動かす原動力になっている。

次回は、本間さんが描く「写真の街・酒田」を、実際にどのように形にしていくのか。地域の人、学生、写真館、クリエイターなど、さまざまな人を巻き込みながら始まろうとしている具体的な取り組みについて聞いていく。